

—— いわば父と子くらいの年齢差がありますが、お二人はお互いの存在をどんなふうに捉えられていますか。
頼もしい先輩のいる職場で
伸び伸びと業務に勤しんでいます
【熊地】
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中川原 聡(以下、中川原): 頼もしい後輩が来てくれたと感じています。月に1回、自身の業務の進捗を報告する機会があるので、そのタイミングで直接、仕事の状況などを伺って、必要であればアドバイスしています。熊地さんは現在、高品位なアンチモンを取り出す分離回収の研究をメインに担当しています。何でもそうですが、こうした地道な研究は成果を出すのに、教わったことを生かす能力だけではなく、生まれもったセンスがいるものです。その点、熊地さんは彼なりの着眼点をもってちゃんと取り組んでくれている。報告の場ではちゃんと自分なりにこうしたほうがいいのでは、という提案を二つ、三つしてくれますから、これは素晴らしい。熊地さんの世代は傾向として受け身で、指示待ちの人が多い印象がありますが、熊地さんはそうじゃないです。昨夏くらいは少しあっぷあっぷしている感じもありましたが(笑)、報告会でも自分の言いたいことをちゃんと言えるようになってきていますし、成長を感じます。
熊地 亮人(以下、熊地): お褒めの言葉をいただけて、本当にうれしいです。もともとDOWAメタルマインは東北大学出身者が多く在籍する企業で、後輩としては先輩に頼れる環境があります。また、中川原さんは製錬技術センターのセンター長というグループをまとめる立場ですから、その点からもやっぱり母校は良い大学なんだなと実感するところです。中川原さんから自分なりの提案があると言っていただきましたが、仕事をする上で、うまく行ってない場合に、なぜうまくいってないのかを一方向だけから見ない、ということは強く意識しています。課題を解決するためにどういうやり方があるのか、まず、リストアップしてみて、その上で、諸先輩方の意見をよく聞くようにしています。就職してみて、心の底から、東北大学でいい先生方に教わったなと思っています。手を動かすだけでも駄目、頭を動かすだけでも駄目。考えつつ、手を動かすということをたたきこまれましたから(笑)。
中川原: 手を動かすだけでも駄目、頭を動かすだけでも駄目というのは、まさにその通りです。東北大は研究第一だ、っていう空気がありました。自分で考えて、それを試験してっていうのを徹底して繰り返す。実学尊重の大学ですね。
—— 中川原さんは製錬技術センターのセンター長であられますが、具体的にはどんな役割をされているのでしょうか。
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中川原: 製錬事業に関する研究開発、それから技術支援の総括と、製錬事業における安全衛生・環境・品質保証のマネジメント統括も仰せつかっています。DOWAメタルマインは小坂製錬と秋田製錬という二つの事業所を核とする企業で、天然鉱石から各種リサイクル原料までの多様な原料を安全、かつ効率よく処理し、元素回収を行っています。どちらの製錬所も私が担当しているということで、週の半分が小坂、もう半分秋田という、いわば二拠点生活を送っています。

—— お二人はそれぞれ学生時代、どんなふうに過ごされてきましたか。研究などで印象に残っていることがあれば教えてください。
状態図をひたすらつくりました
点が増えていくのに手応えを感じました
【中川原】
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中川原: 学部4年生のときにひたすら状態図をつくっていたのをよく覚えています。鉄-チタン-酸素系の状態図です。当時まだ、デジタルカメラがなくて、自分でつくったものを銀塩カメラで撮影して、現像するということをやっていました。画像解析も夜遅くまでかかって大変でした。卒業論文の作成もあり、12月、1月は追い込みました。睡眠時間は毎日3、4時間。家に帰るのが面倒くさいとなったら研究室に寝泊まりしていました。私は阿座上竹四先生(東北大学名誉教授)の研究室にいたのですが、ほとんど先生はおらず(笑)、当時の伊藤聰先生や、先輩らに大いにお世話になりました。状態図の作成に際しては、いろいろ細かいところまで伊藤先生が教えてくれました。装置を自分で組み、平衡試験をして、どんどん打つ点が増えていくと、そこに手応えを感じたものです。最初は当然うまくいかず、時間がかかりました。サンプルを仕込んで、雰囲気のコントロールがうまくできないと苦労しました。ガスの入れ方や、混ぜ方を工夫して、本当に試行錯誤を繰り返した末に、こつが分かってくるのです。
熊地: 学部4年生で研究室に配属となり、鉄鋼製錬の副生成物であるスラグを酸に溶かし、リンだけを抽出するという研究をしていました。プロセスを自分で考えてプランAだけでなく、B、Cとつくっていって、うまくいきそうだとなったときはやっぱり心躍るものでした。そうした経験で研究する楽しさを覚えた感じです。学部4年生の時はめぼしい成果はなかったのですが、修士1年のときは前に進んでいく実感が得られて、研究を本当に楽しく感じていたのを覚えています。
—— 研究以外ではどんなことが思い出に残っていますか。
ライブ観戦に夜行バスで首都圏に
通ったのもいい思い出です
【熊地】
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中川原: 学部の4年間、同じ所で下宿していたのですが、その下宿仲間と麻雀をやったり、春だったらお花見に行ってお酒を飲んだり、そういうことが思い浮かびますね。野球や、サッカーもよくやりました。実はその下宿でお世話になった女性の管理人さんがご存命で、2年前の2022年になりますが、下宿のあった場所で、管理人さんと当時の下宿仲間で会う機会をつくることができて、本当に懐かしく、楽しかったです。その下宿は、私が在籍した工学部をはじめ理系だけじゃなく、文系の人もいて、それぞれが違うことを専門にしていたものですから、当時の私は大いに刺激を受けました。
熊地: 夜行バスを使って、首都圏のライブをよく見に行っていました。お金も時間もないなりに頑張ってやりくりしていたなと今となっては思います。17時ぐらいまで研究室で進捗を報告して、夜行バスに乗り込んで、というようなこともありました。それから、大学に入ってある意味、念願だったギターを始めてバンドを組めたのも良かったです。下手の横好きレベルですが、卒業まで楽しく続けられました。大学時代を思い返して少し反省があるとすれば、もうちょっと学部の1、2年生のときに遊んでおけばというのがあります。今から比べれば、時間はないようでありましたから。あまり品行方正にならず、もうちょっと羽目を外してもよかったかなと思います(笑)。

—— DOWAメタルマインの事業についてご紹介いただけますか。
プロセス変更の最前線に立ち
深く携われた経験は何事にも代えがたい
【中川原】
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中川原: 東証プライム上場企業で、同業と比べると、そこまで企業規模は大きくないので、一緒に働くお互いの顔が見えやすい会社です。DOWAメタルマインというのはDOWAホールディングスに連なる5つの事業会社のうちの一つで、ちなみにDOWAホールディングスにはメタルマインの他、エコシステム、エレクトロニクス、メタルテック、サーモテックがあります。事業テーマはエコシステムが環境・リサイクル、エレクトロニクスが電子材料、メタルテックが金属加工、サーモテックが熱処理です。メタルマインは製錬ということになりますが、元は旧藤田財閥の創立者・藤田伝三郎が興した藤田組までさかのぼります。1884年、明治政府から小坂鉱山の払い下げを受け、銀の生産を始め、やがて小坂鉱山は鉛、銅の生産で日本有数の鉱山になりました。後に同和鉱業となり、その後、2006年に「DOWAホールディングス」という持株会社に移行しています。
—— 体制が変化していく中で、中川原センター長はどういう役割を果たされたのですか。
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中川原: 修士課程修了後、同和鉱業に入社、小坂製錬に出向して、まず6年いました。その後、本社に異動し、メタルマインの企画室に配属されました。2006年に原料構成の見直しにより、製錬プロセスを転換することとなり、その初めから私は携わっています。2008年に現在の炉は営業運転を開始しています。立ち上げまでには世界中の製錬所へ行って、たくさんの炉を見ました。3カ月に1回ぐらいは海外に出張していましたね。ダイナミックに会社が変貌するときに最前線にいられて、それは本当にいい経験だったと思っています。小坂製錬の製錬プロセスを時代に合わせて大きく転換するプロジェクトに最初から関わって、やり遂げたというのは私にとって誇りです。

—— 熊地さんがDOWAメタルマインを就職先に選んだ理由を教えてください。
学生時代につけたノートが
今にもちゃんと役立っています
【熊地】
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熊地: DOWAメタルマインを知るきっかけとなったのは、大学入試の志望理由書をつくったときです。私は秋田高校出身で、志望理由書内で材料について触れようと思い調べたら、地元に秋田製錬、小坂製錬があることを知りました。製錬の他に、廃棄された携帯電話から金を取るというようなリサイクルもやっているということが分かり、がぜん、興味が湧きました。修士課程終了後には就職しようというのは学部生のときから決めていて、いざ、就職活動となったときはDOWAメタルマイン一択でした。ただ、コロナ下でしたのでインターンが一切できず、やりとりは全てオンライン。先輩が工場内を歩きながらZoomでいろいろと紹介、説明してくれました。もともと関心を寄せていた企業ではあったのですが、実際、就職活動をしながら、徐々に分かっていったのは個人の強みを尊重して伸ばそうとしてくれる教育体制があるということでした。今でも、相談がとてもしやすくて助かっています。誰もが飾っている印象はなく、壁を感じませんでした。リクルートのための“営業モード”みたいなのも、一切ありませんでした。私が何か尋ねたら、素直に自分が思ったことを思ったまま伝えてくれているように感じられ、就職前から、一緒に働くようになったら、ちゃんと面倒を見てくれそうだなという感覚を持つことができました。実際入ってみて、やはり面倒見がいい先輩が多いです。よく私のことを見て、ありがたいアドバイスをくださる先輩ばかりです。
—— 大学時代に学んだことで、今の仕事に生きていることはありますか。
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熊地: 大学時代は酸などの水溶液を使った湿式の分離プロセスをやっていたので、高温炉を利用する乾式の分離プロセスについては詳しくなかったのですが、学生時代の講義資料や、実験を進める上での条件設定などの考え方は活用できていますね。学生時代につけたノートを見返すと、こんなことをちゃんと教えてくれていたんだなと感激するくらいで、東北大学というのは実に広く基礎を教えてくれる大学なんだと思います。材料の幅広い知識を網羅的に学べて本当によかったです。

—— 実際に働き始めて1年余り。生活の充実度はいかがでしょうか。
ちょっとでも興味を持ったものには
ぜひ手を伸ばしてください
【熊地】
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熊地: 大変高いです。DOWAメタルマインに入って、自分がこれだと思う、好きなものを見つける一歩手前のところまで来ている感覚はあります。また、小坂製錬の将来を担う最先端の部分をやらせてもらっていますので、もっと5年後、10年後を見据えての研究をしていかなければいけないという責任も感じています。私は新しいことが好きですし、なんでだろうと疑問が湧いたらいろいろ調べて、検証するのも性に合っています。今、それが尽きない部署にいるので、毎日が楽しいです。これから自分のライフワークとなるようなテーマを見つけていきたいと思います。
—— 中川原センター長が、今後の熊地さんに期待することはどんなことでしょうか。
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中川原: 世界で最先端のことをやっているという自負をもって仕事してもらえるといいなと思います。そういうマインドがあれば仕事は楽しいはずです。好きなら頑張れるものですし、苦しさを感じません。もっとどん欲にいろいろなことにチャレンジしてほしいですね。

—— 最後に、東北大学の後輩や、東北大学で材料について学ぼうと考えている高校生たちにメッセージをお願いします。
ものづくりは人間にとって一番重要
東北大学の研究環境は素晴らしいです
【中川原】
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熊地: 東北大学は学生数に対して先生の割合が多いので、細かいところまで面倒を見てもらえる大学です。学生をしっかりフォロー、サポートしてくれる大学だったなというのが私の印象です。要は安心して勉学、研究に励める環境があるということです。自分が将来何をやりたいか、イメージはなかなか付かないかもしれません。現に私も社会に出て1年程でこれからの人生に不安しかない状態です。ですが、将来を決めるきっかけは案外ひょんなところに落ちているものです。何事も恐れず、ちょっとでも興味を持ったものにはぜひ手を伸ばしてみてください!
中川原: 自分が工学部出身というのもありますが、ものづくりは何よりも人間にとって一番重要という思いがあります。ものづくりといえばやっぱり工学部ですし、東北大の工学部は実験や、手を動かすことを何よりも大事にしています。研究環境も素晴らしいですし、ものづくりに携わりたい人は東北大の工学部に入ることを強くお勧めします。また、学生時代に工場見学をしたり、旅行したり、いろいろな人と話したり、そのときにしかできない経験をたくさんしておくことも強く推奨します(笑)。
