“たたら製鉄”との出会い、ものづくりの原体験。
切磋琢磨し合える仲間たちと育んだ、研究への知的探究心。


「鉄は熱いうちに打て」――“鉄は、熱して軟らかいうちに鍛えよ。人は柔軟性のある若いうちに鍛えることが大事である”という教えです。若いうちから鍛錬されたかどうかは別として、柔軟性はかなり多めに(笑)備えていると自負しています。これまでの様々な節目や分岐点で、「○○でなければ」と拘泥することなく柔軟かつ弾力的に対応してきたことが、結果的に良い方向に誘(いざな)われることになったように思えるのです。もっとも、人はひとつの人生しか生きることができませんから、真のところはわかりませんし、に思いを巡らすことは私の好むところではありません。ただこれまでに一度だけ「これだけは譲れない」とこだわったことがあるのです。のちほどお話しましょう。

高校の時は「大学を卒業したら、どこかの会社に就職するのだろう」と漠然と考えていました。実家が自営業でしたから、組織に属することがうまくイメージできなかったんですが、理系志望でしたから入社するなら製造業の会社かなと。今では「ものづくり」の発展を研究面から支える仕事をしていますから、ある意味、初志貫徹と言えるかもしれません。

私は「おもしろい」という感懐は、勉学や研究を推進させるパワーになると信じているのですが、大学で一番初めにおもしろい! と思えたのが「たたら製鉄」です。たたら製鉄は、世界各地にみられる初期の製鉄法ですが、私の恩師(永田和宏・現東京藝術大学教授/東京工業大学名誉教授)は当時から、一度は失われたたたら製鉄の技術の再現と原理の解明を試みられており、定期的に実験、というか操業されていたんですね。それを手伝ったのが、製鉄との出会いです。学部1、2年生ですから、手伝うといってもたかが知れているのですが、鉄鋼粉(砂鉄)を炉の上から入れたり、温度をモニターしたりしました。スイッチひとつで動くものではなく、とにかく手を動かさなければなりませんでしたから、まさにものづくりの原体験となりました。この時、一緒に行動していた友人は、その後同じ(永田先生の)研究室に所属し、お互いの向上心を引き出し、切磋琢磨し合う仲間となりました。

研究の醍醐味とは――おそらく多くの研究者に共通する意見だと思いますが――それまでわからなかったことが、わかる!ことに尽きると思います。修士課程に進んでからは、研究室の仲間たちと議論をし、それを基にチャレンジし、新しい知識や知見を得、さらに研究を前進させていくというフローができ、充実した学究生活を送りました。同窓生たちとは今でも研究交流があります。ライバル視したことはありませんが、彼らの活躍ぶりはよい刺激になります。そう考えると、私のソーシャル・キャピタル(社会関係資本)はとても充実していますね。20年来の仲間たちに感謝です。

(図/写真1)鉄のまち室蘭(北海道)で開催された「アイアンフェスタ2013」

(図/写真1)鉄のまち室蘭(北海道)で開催された「アイアンフェスタ2013」(主催:登別室蘭たたらの会)で、たたら製鉄の実演をする村上先生(左から2番目)。鉧(ケラ:砂鉄からつくられた粗鋼)を取り出すためにレンガ製の炉を壊しているところ。火入れは午前8時、炉に砂鉄と木炭を交互に入れ、送風機(本来はふいご)で風を送り、約7時間操業を続ける。たたら製鉄で得られた品質の良い鉧は、玉鋼(たまはがね)と呼ばれ、古来、日本刀の材料に用いられてきた。

私の学生時代は、いわゆるバブル崩壊後の“失われた20年”に当たります。思うに任せない就職活動に打ちひしがれる先輩たちをみては、就職への意気込みが冷めていきました。相対的に盛り上がってきたのが進学に対する熱意でした。博士課程に進んでからは、現在私が専門とする製鉄プロセスを中心とした高温物理化学をターゲットにしました。今、幸いにも同じ領域の研究に取り組んでいますが、ここに至るまでにはポスドクとしてふたつの大学を経たという紆余曲折があります。その間、好条件で声を掛けてくださった企業もあったのですが、私が持てる可能性を発揮できるフィールドは大学しかない、という強い思いがありました。これが冒頭で話したこだわりです。こだわりが成就したからには、研究や教育を通じて、社会に貢献していかなければならないと肝に銘じています。

取材風景
取材風景
取材風景
取材風景
取材風景
取材風景
ページの先頭へ