ロールモデルの存在が、研究者の道に導く。
出会いの中で学んだ少年・青年時代。


高校生(男子)の「将来なりたい職業」の第1位は「ITエンジニア・プログラマー」だそうです(ソニー生命(株)調べ、2019年)。「YouTuber(3位)」を圧してのトップ。ちなみに「学者・研究者」は会社員と並んで9位。「なるほど、高校生にもなると現実的だ」という思いと、少し寂しい気持ちが交錯します。しかし、小学生(男子)を対象とした調査では、5位に「学者・博士」がランクイン(第一生命(株)調べ、2020年)。多くの後進を待ち望む者としては、小さい頃の夢と目標をそのままに成長してほしいと願うばかりです。

職業観が養われる時期、私の良きロールモデルとなってくれたのが、現在、“人気の職業” ITエンジニアとして活躍している5歳年上の従兄です。従兄は、中学の頃からコンピュータ・プログラミングを独学していて、パソコンであれこれと操作する様子を、幼い私に見せてくれました。これがマシン/メカ全般に興味を持つきっかけとなり、自分でもラジオを分解したり、パソコンでプログラムをつくったりして楽しんでいました。「ものをつくる、生み出す」ということが好きな子どもだったように思います。

理系の教科が得意だったこともあり、大学は工学部に進学。母校は、学術研究と研究者養成を重点的に行う研究大学でしたが、将来「研究者」になろうという気持ちはありませんでした。自分には向いていないとほぼ確信していた職業は、会社員です。私の父は営業マンとして世界を飛び回っていましたが、夜中、自宅に国際電話がかかってくることも多く、その背中をみては、「こんなタフな仕事はできない」と思ったものです。会社という組織に所属することなく、自分の能力と個性を生かし、やりたいことをかなえてくれる仕事はないものかと考えていました。後に、そんな都合の良い仕事はそうそうない、と知ることになるのですが(笑)。

大学では学年が進み、研究室に所属していろいろな実験を行ううちに、おもしろさを感じることが多くなりました。そして、研究者になるという道を決定づけたのもロールモデル、導き手の存在があったからです。

修士課程の時、実験のため国立循環器病研究センター研究所(大阪府吹田市)に通っていたのですが、そこにとてもユニークな女性研究者がおられたのです。病因部に所属していた先生は、自分の興味と探究心のままに、カタツムリの研究をされていました。もちろんご自身の職務である電子顕微鏡を駆使した病理学の研究も成果を挙げられていましたが、「これ、楽しんだよ」と巻貝に向き合っている姿に接し、本来、研究とはとても自由な営為なのだと感じ入りました。

研究の世界にすっぽりと足を踏み入れることになったのは、恩師(再生医工学研究の草分け)の導きがあったからです。当時、国内初の再生医療研究プロジェクトを主導されていた先生は、非常に多忙な方でしたが、私の進路相談に時間を取ってくださり、「上手くいけば助手(当時)になれるかもしれないし、プロジェクトの一員として研究室に残ってはどうか」と提案してくださいました(ほとんど決め打ちでしたが。笑)。また、他の研究機関で視野を広げたいと、進路についてわがままを言う私を説き伏せるように、ドイツの研究所へ送り出してくれたのも先生です。ただ、私の性格も熟知されていて、「山本は楽観的で調子に乗りやすい」と時には厳しく、ぎゅっと手綱を締められたのも懐かしい思い出です。

今は学生さんを導く立場になりましたが、一人ひとりに向き合って、課題や目標に耳を傾け、ベストの道を探っていく姿勢は、恩師の背中から学んだところが大きいですね。

(図/写真1)2008年、米国コーネル大学医学部に留学していた折の1枚。帰国前にラボの友人が盛大に送別会を催してくれました。明け方まで飲み明かしたことはいうまでもありません(笑)。さまざまなバックグラウンドを持つ研究者たちと出会えたことに感謝。

(図/写真1)2008年、米国コーネル大学医学部に留学していた折の1枚。帰国前にラボの友人が盛大に送別会を催してくれました。明け方まで飲み明かしたことはいうまでもありません(笑)。さまざまなバックグラウンドを持つ研究者たちと出会えたことに感謝。

取材風景
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