東北大学およびマテリアル・開発系の歴史

明治 40.6.22

東北帝国大学設立(仙台に理科大学、札幌に農科大学)(勅令第236号)

明治 40.9.1

東北帝国大学農科大学が開設

明治 44.1.1

東北帝国大学理科大学が開設

明治 44.3.24

初代総長 澤柳政太郎

明治 44.6.3

本学の事務所を文部省内から仙台市片平丁に移した

明治 44.9.12

東北帝国大学理科大学の講義が開始された

大正 1.3.30

附属医学専門部及び工学専門部が設置された(勅令第65号)

大正 2.5.9

第2代総長 北條時敬

大正 4.7.11

理科大学に臨時理化学研究所を設置した

大正 6.8.25

小川正孝総長事務取扱

大正 6.10.15

第3代総長 福原鐐二郎

大正 7.12.12

大学令(勅令第388号)

大正 8.2

帝国大学令(勅令第12号)

大正 8.2.7

理科大学及び医科大学は理学部及び医学部となる(勅令第13号)

大正 8.5.22

附属鉄鋼研究所が設置された(勅令299号)
工学部が設置された(勅令235号)

大正 8.6.21

第4代総長 小川正孝

大正 11.8.9

金属材料研究所が設置された(勅令第361号)
附属鉄鋼研究所が廃止された(勅令第352号)

大正 12.5.16

工学部に金属工学科(6講座)設置された(勅令第243号)

大正 13.4

金属工学科に20名の学生が入学

大正 14.8.1

金属工学科に2講座が増設される(勅令第264号)総計6講座となる

昭和 2.10.1

村上武次郎工学部長

昭和 3.6.15

第5代総長 井上仁吉

昭和 6.6.15

第6代総長 本多光太郎

昭和 15.5.31

第7代総長 熊谷岱蔵

昭和 16.3.26

選鉱製錬研究所が附置された(勅令第268号)

昭和 16.12.16

金属工学科に1講座が増設され、7講座となる

昭和 20.7.9

仙台空襲により片平丁の建物の40%を消失

昭和 21.2.12

第8代総長 佐武安太郎

昭和 22.9.30

東北帝国大学が東北大学に改められた(制令第204号)

昭和 22.4.1

第9代総長 高橋里美

昭和 24.5.31

国立学校設置法が公布され、新たに東北大学が設置された(法律第150号)

昭和 24.6.22

教養部設置(旧第二高等学校、仙台工業専門学校所在地)

昭和 26.3.31

仙台工業専門学校が廃止された

昭和 28.3.26

本学に大学院が設置された

昭和 28.3.31

本学に工学研究科が設置された

昭和 28.5.12

金属工学専攻が設置された

昭和 28.9.7

金属工学科8講座

昭和 32.4.1

教養部を統合して富沢分校と改称した

昭和 32.7.1

第10代総長 黒川利雄

昭和 33.9.15

富沢分校を川内地区に移転し川内分校と改称した

昭和 34.4.1

的場幸雄工学部長

昭和 35.4.1

金属材料工学科(1講座)設置
金属工学8講座が7講座に改められた

昭和 37.7

金属材料工学科5講座編成となる(2講座新設)

昭和 38.4

金属材料工学科6講座編成となる(1講座新設)

昭和 38.7.1

第11代総長 石津照璽

昭和 39.2.25

学部に学科及び課程が、学科または課程に講座及び学科目が定められた(省令第3号)

金属工学科:鉄冶金学、非鉄冶金学、電気冶金学、金属加工学、化学冶金学
金属材料工学科:構成金属学、特殊金属学、応用金属学、金属強度学、金属化学、金属物理学

昭和 39.4.1

金属材料工学専攻が設置された

昭和 40.4.1

金属加工学科(2講座)設置された
金属融体加工学講座、金属接合加工学講座

昭和 40.11.20

第12代総長 本川弘一

昭和 42.4.22

金属加工学科に金属粉体加工学講座、金属特殊加工学講座が増設された

昭和 42.11.1

門間改三工学部長

昭和 43.4.

青葉山移転(金属系三学科)

昭和 43.6.21

金属加工学科に金属表面処理工学、金属加工機械学講座が増設され6講座編成となる

昭和 44.4.10

金属加工学専攻が設置された

昭和 46.4.1

第13代総長 加藤陸奥雄総長

昭和 46.4.1

金属工学科の鋳造工学講座及び金属加工学講座が金属表面工学講座及び冶金熱工学講座に改められた

金属材料工学科の応用金属学講座が金属組織学講座に改められた

金属加工学科の金属融体加工学講座、金属接合加工学講座、金属粉体加工学講座、金属特殊加工学講座、金属表面処理加工学講座及び金属機械加工学講座が鋳造加工学講座、溶接工学講座、粉末冶金学講座、金属塑性加工学講座、金属界面物性工学講座及び金属力性学講座にそれぞれ改められた

昭和 49.4

金属工学科創立50周年

昭和 50.6.5

金属50年記念館完成(受領)

昭和 51.6.10

金属50年記念館引き渡し

昭和 52.5.1

第14代総長 前田四郎

昭和 57.7

金属系第1回学科公開

昭和 58.5.1

第15代総長 石田名香雄

昭和 59.4.1

情報工学科が設置された

昭和 61.3

工学部学生入学選抜方式を学科系別から一括募集とした

昭和 61.4.1

金属・材料系3学科の改組:金属材料工学科を材料物性学科に、金属加工学科を材料加工学科に改めた

金属材料工学専攻を材料物性学専攻に、金属加工学専攻を材料加工学専攻に改めた

昭和 62.5.21

金属材料研究所が全国共同利用研究所に改組・転換された

平成 1.5.1

第16代総長 大谷茂盛

平成 2.11.6

第17代総長 西澤潤一

平成 3.4.12

材料物性学科に磁性材料学講座が設置された

平成 4.4.10

選鉱製錬研究所が素材工学研究所に改組・転換された

平成 5.3.31

教養部が廃止された(学内措置で平成6年3月31日まで存続)
本系の名称を金属・材料系から材料・物性系に変更した

平成 5.4.28

学科長を置くという国立大学の学科を指定する訓令が制定された

平成 6.3.24

本系の学外者による評価を実施

平成 6.4.1

工学研究科の大学院重点化が開始された

平成 7.4.1

及川洪工学部長(H7.4〜H9.3)(第29代)

平成 7.6

学部系の呼称、材料・物性系をマテリアル・開発系へと変更した
大学院は従来通りに材料・物性系のまま

平成 8.3

工学部学生入学選抜方式を系別募集とした

平成 8.11.6

第18代総長 阿部博之

平成 9.4.1

本系が大学院重点化された

平成 10.4.9

未来科学技術共同研究センターが附置された

金属工学科の6講座が金属プロセス工学及び材料物理化学の2学科目に、材料物性学科の7講座が物性制御学及び高機能材料学の2学科目に、材料加工学科の6講座が加工組織制御学及び加工プロセス制御学の2学科目に改められた

金属工学専攻にデバイス材料化学講座、金属プロセス工学講座、材料理化学講座が、材料物性学専攻に極限材料物性学講座、物性制御学講座、高機能材料学講座が、材料加工プロセス学専攻に材料システム設計学講座、材料加工設計学講座及びメカノプロセス学講座が増設された

平成 11.6.11

金属工学科創立75周年記念式典が挙行された

平成 12.

MAST21(21世紀の材料戦略)設置

平成 13.

国際材料教育・研究センター発足(75周年記念事業より)

平成 13.4.1

多元物質科学研究所設置

平成 13.11.6

第19代総長 吉本高志

平成 15.4.1

初代系長 大内千秋

平成 16.4.1

環境科学研究科新設

工学研究科専攻・工学部学科再編、三学科統一により材料科学総合学科設置

井口泰孝工学研究科長(H16.11〜H18.3)(第4代)

平成 17.4.1

ARECS(先進鉄鋼研究教育センター)設立

平成 18.4.1

原 信義 系長

平成 18.11.6

第20代 井上明久総長

平成 19.6.22

東北大学100周年

平成 21.4.1

粉川博之 系長

平成 23.3.11

東日本大震災 マテリアル・開発系A棟・講義棟被災

平成 23.4.1

安斎浩一 系長

平成 23.7

マテリアル・開発系共同研究棟竣工

平成 24.4.1

第21代 里見 進 総長

平成 25.11.13

マテリアル・開発系新工場棟竣工式

平成 26.3.31

マテリアル・開発系教育研究棟竣工

平成 26.4.1

杉本 諭 系長
環境科学研究科再編

平成 26.9.5

マテリアル・開発系 新教育研究棟開所式

平成 27.3.23

レアメタル棟開所式

平成 27.7.10

金属50年記念館お別れ会開催

平成 29.2.1

マテリアル・開発系材料実験棟竣工

平成 29.2.23

マテリアル・開発系材料実験棟開所式並びに旧低層棟お別れ会

平成 29.4.1

三原 毅 系長

平成 29.8.8

マテリアル・開発系周辺外構竣工

平成 29.10.10

マテリアル・開発系パブリックスペースお披露目会

平成 30.4.1

長坂徹也工学研究科長(H30.4〜)(第9代)

平成 30.4.1

第22代 大野英男 総長

令和 1.5.25

工学部創立百周年式典が挙行された

令和 1.6.20

昭栄化学工業グランドキックインセレモニー開催

令和 2.4.1

成島尚之 系長

  •  
  •  
  •  

昭和四十四年卒業生の所属学科不一致についての経緯

金窓会名簿では長年にわたり、名簿に記載された昭和44年学部卒業生の「学科分け」(公式な記録)と実際の卒業研究指導教官の「所属学科」が一致しておりません。この不一致の原因について、当時の事情を把握されている井垣謙三先生より以下のご寄稿(金窓会会報第62号掲載)を戴いておりますので、名簿をご覧戴く際にご参照下さい。

「三学科への改組拡充の際に生じた学生所属学科名の混乱

特別会員 井垣 謙三

金属加工学科が新設されて三学科となり、昭和四十年春に入学したその一期生が学部に進学して来たばかりの昭和四十一年四月頃、当時教室主任で教務担当だった井垣の所へ掛かってきた一本の電話が、この混乱の発端となった。

電話は工学部の教務係からで、折角三学科への改組拡充が進行しているのに、新しい金属加工学科の学生と呼べるのがいないのは好ましくない様に思われるという意見もあり、仮配属の形ででも金属加工学科の学生にできないだろうかといった内容であった。

教務係からの話としては少し奇妙に思えたが、この改組拡充やそれに先立つ金属材料工学科の増設に非常に貢献されたM先生の姿が浮かんだので、深くは詮索せず教室の教官会議に掛けることにした。M先生は新学科の増設に当たり、年次計画の進行に伴って教官陣も充実し、学生の年次も進んでいる状況を関係各方面に報告され、何年後には卒業し社会人として巣立つので、その求人・採用に特別のご配慮をお願いするといった文書を折に触れて発信されていることを知っていた。

金属材料工学科の新設の場合は、新設学科を標榜して入学試験の際から別学科扱いになっていたから、合格最低点なども話題になったりしたが、三学科になってからは、金属・材料系としての一体運営に心がけることが重要になっていたから、二年次の学生を金属工学科・金属材料工学科・金属加工学科の三学科に分配することは全く念頭に無かった。協議の上、教務からの申し入れの線に沿って仮配属することにし、教養部から学部へ進学した際の名簿をそのまま用いて、A・B組を金属工学科、C・D組を金属材料工学科、E・F組を金属加工学科へと仮配属した。各学生の所属学科は、その学生が卒業研究で指導を受ける研究室の所属学科と一致させるべきものであり、希望の研究室を調整して決定するのは三年次の終わりに近い頃であり、一年半以上先のこととなる。この配属はあくまで仮配属であり、四年次において修正されなければならないとした。

昭和四十二年度の新学期が始まり、私も教室主任の業務から解放されていたが、前年度での仮配属が気に掛かっていて、その修正にいつ頃から取り組むのが適当かを教務係に確かめてもらったところ、直前で良いとのことで、“これで一安心”とのメモを残して喜んでいる。私には、なんだか話しが食い違っているような一抹の不安が残って消えてくれなかった。卒業の段階で初めて学科配属を決めるのと、仮配属を修正するのとでは手続き上違うようにも感じられたのである。

昭和四十四年三月初旬に、私は海外出張で日本を離れており、この仮配属が修正されないままの所属学科で卒業していることを知ったのは、かなり後のことで金窓会名簿からであった。仮配属の修正には何回かの教授会の承認が必要とされたものと推測される。