2010年
球を周回する表面波で多種類のガスを検出できる高性能センサの基盤技術を確立
- 2010年1月4日(日本経済新聞)、2010年1月1日(科学新聞)、2009年12月16日(読売新聞、日刊工業新聞)、12月20日(河北新報)
東北大学未来科学技術共同研究センター(工学研究科材料システム工学専攻兼担)山中一司教授および凸版印刷株式会社のグループは、球の表面波の自然なコリメートビームに基づいて、これまでに世界で最もワイドレンジな水素ガスセンサの開発に成功していたが、このたび、水素に加えて多種類の有害・危険ガスセンサを手のひらサイズで実現し、環境と社会の安全と安心および天然ガス生産プロセスに貢献する基盤技術を確立した。本研究は、独立行政法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業の一環として行った。
背景
環境計測やセキュリティの分野では多種類の危険ガスを検出する必要がある。どのようなガスがあるか不明な場合もある。そのためには、きわめて多数のセンサが必要だが、10個以上のセンサを集積して役割分担させる複雑なシステムは、コストや信頼性の面で問題がある。少数のセンサによる比較的簡単なシステムでこれを実現するのが望ましい。また、天然ガスの成分計測は取引など下流でのみ行われていたが、生産や販売における組成が変動するため生産現場でプロセス制御に適用できるガスクロが求められている。ここでも、多種類の炭化水素を分析でき、コスト面でも現実的なセンサが必要である。
従来、このような要求には、ガスクロマトグラフにより応えてきた。これは、カラムという流路における各ガスの保持時間(通過時間)差を用いてガスを分離する装置である。しかし現在普及している通常のガスクロでは大型となり、現場での適用が困難である。適用のためには、小型・低消費電力に加えて、ガス検出器の①汎用性、②感度・応答速度、③室温動作などの特性が求められる。弾性表面波(surface acoustic wave; SAW)センサは①の点で従来のガスクロ検出器より優れるが、②と③に課題があった。
このような背景のもと、本グループは、球の直径と表面波の波長によって決まる特別の幅の電極で表面波を励起すると、表面波が球の表面を広がることなく周回する現象を見出した。これは物理学の常識である回折という現象を破る新しい物理現象で、自然なコリメートビーム(【用語説明】参照)と呼ばれる。この波は広がって支持部で散乱されることなく100 周以上周回するので、これを利用したボールSAWセンサ(図1 (b))は、ガス分子による遅延時間や振幅の差が増幅されて、従来のSAW センサ(a)より極めて高感度になる。
世界で最も検出濃度範囲が広い、ボールSAWセンサを利用した水素ガスセンサについては、凸版印刷株式会社が限定的に評価キットを販売し、株式会社山武が水素社会のキー技術である高圧水素流量調節弁を開発し発表している(佐藤azbil Tech Rev. 2007.12)。これらの成果に対し、2008年に文部科学大臣表彰や独創的で実用化された技術に与えられる山崎貞一賞を受賞した。
しかし、水素ガスセンサで採用したパラジウム感応膜は、水素ガス以外のガスに対しても反応し、ガスの特定に課題があった。他のセンサを見渡しても、環境中にある100種類以上の未知の危険・有害ガスを、その場で分離して検出できる技術は無かった。

図1 SAWセンサの比較 左(a) 従来の表面波センサ 右(b) ボールSAWセンサ
研究成果
今回は、ボールSAWセンサをガスクロマトグラフと呼ばれるガス分析方法に応用することで、不特定のガスが混合していても、それらを分離して高感度に計測できる携帯型ガスクロマトグラフを実現した。
- 微細加工:ボールSAWセンサの前でガスを分離するカラムという部品をMEMS(微小電気機械システム)技術を用いて新たに開発した。
- 充填カラム:カラム内部に吸着剤微粒子を40気圧以上で高圧充填することでガス分離能力の向上を果たした。ここではカラムの破壊防止技術が鍵となっている。
- 感応膜:ボールSAWセンサも、厚さ20nm以下の高分子感応膜をボールに均一に塗布する技術を確立して大幅な高感度化を達成した。
- 回路:ボールSAWセンサは通常の表面波センサと動作原理が異なるため、回路や評価装置にも独自の構成が必要だが、東北大学と凸版印刷は、これまで開発してきた FPGA(field programmable gate array)を用いた回路をさらに小型化(モバイルDQD)(【用語説明】参照)して携帯化に目処を立てた。
- 並列動作:ガスの流れを直列と並列に切り替えることにより複数のボールSAWセンサで性質の異なるガスの集団を分離して並列で迅速に検出する手法も開発した(図2)。
図2に従って、動作を説明する。まず、バルブ切替前は、保持力の小さい混合ガスA~C(未分離)をBS1で検出し、保持力の大きいガスD~GがCL2に入るのを防止する。バルブ切替後は、並列分析で、保持力の大きいガスD~GをCL1で分離、BS1で検出すると同時に、保持力の小さいガスA~CをCL2で分離しBS2で検出する。
上記の研究成果を取り込んだ試作器を図3に示す。試験評価を容易にするために幅24cm程度の大きさに製作したが、カラム、回路、センサセルは手のひらサイズ以下なので、さらなる小型化の実現は可能である。そこで、社会生活の様々な場面で使用できる手のひらサイズとなる。
1組のカラムとボールSAWセンサで10種類以上のガスを分離して検出できる。試作したシステムは2組のカラムとセンサを使用しているが、10組程度まで集積出来ることから、100 種類のガスが分析できる。以上により、水素や天然ガス、また様々な有害危険ガスを検知できる、手のひらサイズのセンサを実現し、環境と社会の安全と安心に貢献するための基盤技術を確立できた。
このようにボールSAWセンサ自体や周辺素子技術とシステム化が進展したため、素子、回路、システムの様々なレベルで技術を移転する体制をこれまで以上に整備し、多くのガスやにおいセンサも含む広範囲な用途開発を図る。本研究は、平成18年度に採択された戦略的創造研究推進事業「ボールSAW水素ガスセンサの開発」において、東北大学と凸版印刷株式会社が株式会社山武、ボールセミコンダクタ株式会社およびNDA に基づく他企業の協力も得て推進している。

図2 ガス直進法(高速分析法)の原理

図3 ボールSAWセンサを用いた多種類のガスの検出器 ガスクロマトグラフ
用語解説
自然なコリメートビーム
一定幅の領域を伝わるビームは光も含めた波動で有用なため、レンズや屈折率分布の制御により、実現されてきた。これに対し、本グループの発見した球の表面を自然に平行に伝わるビームは、レンズや屈折率制御を必要としないので、「自然な」コリメートビームと呼ばれる。コリメートビームの形成条件はビーム幅が球の直径と表面波の波長の幾何平均(積の平方根)に等しいことで、このような簡単なルールがこれまで発見されなかったことが驚きとされている。水晶のような異方性のある結晶球でも成り立つ。蛇行現象も含めて波動物理における基本的な発見として注目されている。
モバイルDQD
高周波通信技術などで使われている直交検波回路(quadrature detector)をデジタル化し高速化したデジタル直交検波回路(digital quadrature detector)を開発している。今回これを小型化高性能化した回路をモバイルDQDと呼ぶ。