ニュース

研究成果

ステンレス鋼のすきま腐食を蛍光イメージング法により可視化

【概要】

武藤 泉(東北大学大学院工学研究科知能デバイス材料学専攻 教授)、小川 純一郎(元同大学院工学研究科 大学院生)、西本昌史(同大学院工学研究科 大学院生)、菅原 優(同大学院工学研究科 助教)、原 信義(同大学院工学研究科 教授、東北大学 理事)の研究チームは、水溶液中における金属表面の水素イオン濃度指数(pH;ピーエイチ)と塩化物イオン濃度の分布を同時計測できる蛍光イメージングプレートを開発し、ステンレス鋼のすき間腐食発生過程における水素イオンと塩化物イオンの局部的な濃縮とその時間変化を観察することに成功しました(図1)。

図1.ステンレス鋼のすき間腐食発生時のpHと塩化物イオン濃度の分布

図1.ステンレス鋼のすき間腐食発生時のpHと塩化物イオン濃度の分布

金属材料の腐食現象では、水素イオンと塩化物イオンの局部的な濃縮が重要な役割を担っています。しかし、pHと塩化物イオン濃度の分布を同時に計測することは不可能でした。

今回、水素イオンと塩化物イオンに対し、それぞれに選択的に応答する二種類の蛍光試薬を石英板に塗布し感応膜とすることで、pHと塩化物イオン濃度の分布を同時に計測・可視化できる技術を開発しました。また、開発した蛍光イメージングプレートを、水溶液中においてステンレス鋼表面に密着させてすき間を形成し、すき間腐食が生じる際のpHと塩化物イオン濃度の分布状態の経時変化を蛍光画像として撮影することに成功しました。今回開発した蛍光イメージングプレートは、金属腐食の素過程の解析にとどまらず、電気めっき、電解合成、電池反応など多くの電気化学現象の機構解明に応用できるものと期待されます。

本成果は、2016年2月1日(月)にCorrosion Science誌にArticles in Pressとしてオンライン掲載されました。なお、本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費補助金の助成を受けて行われました。

【研究の背景】

水素イオンと塩化物イオンの濃度は、腐食現象などの金属と水溶液の反応にとって重要なパラメータです。一般に、金属腐食はpHの低い強酸性の水溶液で生じます。これは、金属表面の酸化皮膜(不働態皮膜)が、強酸性の水溶液に溶解し下地金属を保護する機能を失うためです。このため、金属材料は、不働態皮膜が保護性を失うpH(脱不働態化pH)よりも中性側の水溶液中で使用されます。また、不働態皮膜は中性付近のpHであっても塩化物イオンにより局部的に侵食され保護性を失います。したがって、金属材料は塩化物イオン濃度が低い水溶液中で使用する必要があります。

すき間腐食は、その名前が示すとおり、狭いすき間の内部で金属溶解が発生する腐食現象です。すき間腐食は、ステンレス鋼などの高耐食材料を水道水のような腐食性の弱い環境で使用した場合にも発生することがあります。このため、ライフラインや産業プラントなどの腐食劣化を防止し安全・安心な社会を支える基盤技術として、腐食・防食学の分野において、すき間腐食の発生機構解明は重要な研究対象となっています。すき間腐食は、すき間内部に水溶液が侵入した後、水溶液の組成が変化するために生じます。定性的には、pHが徐々に低下して脱不働態化pHよりも酸性化することで、すき間腐食が生じるとされています。しかし、塩化物イオン濃度が高い水溶液ほど、すき間腐食は短時間で発生します。このことから、pHの低下だけではなく、すき間内への塩化物イオンの濃縮も腐食発生の引き金になっているものと考えられてきました。しかし、すき間内でのpHと塩化物イオン濃度の分布を同時に計測することが不可能であったため、すき間内水溶液の組成変化と腐食発生との定量的な因果関係は不明確でした。

水溶液のpHや塩化物イオン濃度の分布を画像として記録・計測する技術は、生物化学の分野で精力的に研究されています。たとえば、紫外線のような波長が短くエネルギーの高い光をある種の化学物質に照射すると発光(蛍光)が生じ、その強度が液性に依存して変化する場合があります。このような特性を示す物質(蛍光試薬)を細胞内に導入し、局部的なpHや塩化物イオン濃度の時間変化を追跡する技術が確立しています。しかし、生物化学と腐食・防食学では、対象とするpHと塩化物イオン濃度に大きな隔たりがあり、生物化学の分野で用いられている蛍光試薬を流用することは困難です。生物化学で対象としているpHはおおむね6~8の範囲であり、塩化物イオン濃度も一般的には0.01 mol/L以下です。これに対し、腐食・防食学では、pHは主に3以下、塩化物イオン濃度は0.01 mol/L以上です。武藤教授らは、独自に見出した低pH域で機能する塩化物イオン感応蛍光試薬と、pH感応性のあることが知られている希土類化合物を混合すると共に、発光のための補助試薬や感応膜の作製方法などを工夫することで、蛍光イメージングプレートの開発に成功しました。

【研究成果の詳細】

開発した蛍光イメージングプレートは、励起光として紫外光を用い、波長を切りかえることで、pHあるいは塩化物イオン濃度に対応した発光状態となります(図2a)。励起光の波長を270 nmとし吸収フィルターにより475 nmから570 nmの発光を計測した場合、pHが低下するほど緑色(ピーク波長:544 nm)の発光強度が低下して画像は暗くなります(図2b)。この際、緑色の蛍光強度は、塩化物イオン濃度に依存して大きく変化することはありません。また、励起光の波長を330 nmとし吸収フィルターにより380 nmから530 nmの発光を計測した場合には、pHに依存することなく、塩化物イオン濃度が高くなるほど水色(ピーク波長:447 nm)の発光強度は低下して画像は暗い紺色になります(図2c)。したがって、励起光の波長を高速で切りかえることで、ほぼ同時に、pHと塩化物イオン濃度に対応した蛍光画像を連続撮影することができます。

図2.(a)蛍光イメージングプレートによる金属表面のpHと塩化物イオン濃度の計測方法の模式図(金属Pt板を試験片とした場合の例)、(b)pH応答性、(c)塩化物イオン濃度応答性

図2.(a)蛍光イメージングプレートによる金属表面のpHと塩化物イオン濃度の計測方法の模式図(金属Pt板を試験片とした場合の例)、(b)pH応答性、(c)塩化物イオン濃度応答性

また、今回開発した蛍光イメージングプレートは、可視光(波長350 nm以上)による照明では発光しません。感応膜を作製するための試薬類や石英板も無色透明であるため、紫外線を照射しない状態では蛍光イメージングプレートは無色透明です(図3)。したがって、蛍光イメージングプレートに覆われた状態であっても、金属表面の溶解・侵食状態などを鮮明な画像として観察することが可能です。

図3.可視光下で撮影した蛍光イメージングプレートの外観(Pt板の上に蛍光イメージングプレートを置いた状態で撮影)

図3.可視光下で撮影した蛍光イメージングプレートの外観(Pt板の上に蛍光イメージングプレートを置いた状態で撮影)

今回の研究では、蛍光イメージングプレートを用いて、塩化ナトリウム水溶液中におけるFe-18Cr-10Ni-5.5Mnステンレス鋼のすき間腐食発生過程を解析しました。その結果、すき間腐食の発生に先だち、すき間内では低pH化とわずかな塩化物イオンの濃縮がゆっくりと同時に進行する期間があることが分かりました。そして、その後、局部的な溶解発生と共に急激な強酸性化と塩化物イオンの高濃度化が起こり、すき間内溶液は4 mol/Lを超える濃塩酸に相当する溶液組成に変化することが分かりました。今まで、pHと塩化物イオン濃度は急激に変化することはなく、塩化ナトリウム水溶液から濃塩酸への組成変化はゆっくりと進行するものと漠然と考えられていました。しかし、本研究により、すき間腐食の発生には、臨界pHと臨界塩化物イオン濃度が存在する可能性が示されました。すなわち、低pH化と塩化物イオンの濃縮がゆっくりと進行し、すき間内溶液組成が臨界値に到達した時、すき間腐食の発生と濃塩酸化が、突然しかも同時に生じることが観察されました。

図4.(a)すき間腐食試験装置の断面模式図、(b)ステンレス鋼のすき間腐食発生時の腐食状況とpHおよび塩化物イオン濃度の分布、(c)すき間腐食発生部でのpHおよび塩化物イオン濃度の経時変化

図4.(a)すき間腐食試験装置の断面模式図、(b)ステンレス鋼のすき間腐食発生時の腐食状況とpHおよび塩化物イオン濃度の分布、(c)すき間腐食発生部でのpHおよび塩化物イオン濃度の経時変化

【今後の展望】

本研究により、ステンレス鋼のすき間腐食の発生とすき間内溶液の濃塩酸化には、臨界pHと臨界塩化物イオン濃度が存在する可能性が高いことが分かりました。ステンレス鋼には、耐食性を向上させるためにCrやNiなどが添加されています。そこで、各合金元素の役割を、臨界pHと臨界塩化物イオン濃度の観点から解析することで、代替元素の探索を進め、希少元素を多量に添加する必要のない省資源型高耐食ステンレス鋼の開発を目指していく予定です。

【論文情報】

題目: Simultaneous Visualization of pH and Cl- Distributions inside the Crevice of Stainless Steel
著者: Masashi Nishimoto, Junichiro Ogawa, Izumi Muto, Yu Sugawara, and Nobuyoshi Hara 雑誌名:Corrosion Science
URL: http://www.journals.elsevier.com/corrosion-science/
DOI:doi:10.1016/j.corsci.2016.01.028